Derailed
これは良いこと、これは悪いこと、これはそれよりも悪いこと、これはそれよりもっと悪いこと...という具合に「どんなことが、どんなことより悪いか」ということを考えながら見ると面白い。すると、話が進んでゆくにつれて「まてよ、これとこれではどっちが悪いのかな」となってくる。 ふつう悪いことをしたやつは、最後にそれ相応のひどい目にあうことになっているので、何処かで「この先きっとそうなっていくのだろうな」と思って見ているのだけど、こんな風に、同じステージにレベルの違う悪がいくつか存在していて、物語が進むにつれて変化していくとなると、クライマックスで一体誰にどの程度のお仕置きがスッキリするだろうか、というのが気になってくる。
それは、この手の映画だとたぶん「なるべく多くの人を納得させることのできるお仕置き」ではなければならないはずだから、とすると一体、それはどの位が妥当なのか?例えば、人の恋路を邪魔したいじわるなやつは、水たまりで転んで顔が泥水に浸るとか。そういえば、最後にとても高いところから落ちたりするのは、悪の組織のボスが多い気がする。 とまあ、これはいずれも妥当と思うのだけど、もうちょっと登場人物の個々の事情が説明されている場合に、その人物がそこに到るまでの状況が理解できたりしてしまうので、「いや、どっちかな」となる。
とにかく、「悪いことの度合い」というのは人によって違うし、さらに同じ場所に比較が存在する場合は、さらに妥当なお仕置きの判断が難しくなってくる。 で、このバランスを考えてみると、その絶妙さが際立っているのが、時間と場所を交差させながら大勢の悪者の日常を描いてゆく斬新な手法が話題になったあの名作。この映画の場合は、一人の登場人物を除いて、全員が始終一貫して「あるレベルの悪者」で、それぞれの最後にその悪者が出くわしそうなバランスのとれたお仕置きを受ける。そのお仕置きは「死」とは限らず、ただ「緊張」だったりもするのだけど、見ていてとにかく納得できる。 そういえば、この映画の最初で「悪とは別の方向に変化しよう」と決心するその一人の登場人物については、結局お仕置きを受けることはないのだけれど、それまでは相棒と同じ悪者だったのにも係わらず、それには納得できる。なるほど、実はあれはその辺がけっこうなミソだったのかも。
それはさておき、作者がエンターテイメントとして「最後に受け手がスッキリするようなお仕置きは何だろう」と考えて作っているとしたら、映画を見れば、一般的に「何がどれくらい悪いとされているのか」、そしてそれには、「どういう罰が妥当と思われているか」ということがわかってくる。
ということは、結局「お仕置きの度合い」というのは、見ている人々が決めているということで、これは現実の世界とほとんど同じ。でも、その描かれ方によって、大勢の人が、泥棒の気分となってお巡りさんの方が悪いと思えたり、こんな場合は殺して当然だと思えたりするんだから、映画は面白い。
・・・って、実はこれも現実の世界とほとんど同じ。
戦争映画でバタバタ人が死んでも心は痛まないけれど、サスペンス映画の陰謀や裏切りやについてはぐっと相手が憎くなる。ということで、どちらもそんな無責任さで進んでいるかも。
さて、この映画の話に戻ると、あの映画とは全く似ても似つかず、ハードでもキレてもいないのだけど、ゆっくりとそんなことを考えさせてくれたのでオーケー。オシャレなTVドラマみたいにして楽しめました。

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