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Paris Je T'Aime

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「パリ、ジュテーム」とかいうから、きっとすてきなモヤモヤ系フランス映画なんだろうと思ってとても楽しみにしていたのに。 モヤモヤ系フランス映画というのは、最初から最後までかなり勝手なセンスで押し切られてしまう種類の映画で、フランス映画というとそういうものがウケるのか、今まで「フランス映画だ」って見せられたものにはこういうのものが多い気がする。とにかく、一言もの申す!という寸前の状態のまま「いや、まてよ・・・」と、とうとう最後までその、ものを申せぬままに丸め込まれてしまう、というこのモヤモヤした感覚がとても好きだ。 パリを舞台にした短編集なのだけど、これを見ていたら、昔色んなレコードから好きな曲だけを集めた「お気に入りテープ」作りに凝ったことを思い出した。 お気に入りテープは、あるテーマが浮かんでからそれを何日か寝かせておくと、頭の中で自然と曲がだんだんと集まってくるので、その瞬間に一気にダビングをすると、とても気に入ったものができる。だけど、最初に2〜3曲はっきりとした選曲があって、「こいつはカッコいいのができるぞ」と、日曜日の午前中にわざわざ時間を割いて作ったりするときは、ほとんどいい物はできないから不思議。 最初にあまり狙いがハッキリとしていると、最初の3〜5曲目でぴたりとアイデアが止まってしまい、それから先は、せっかく始めたというのもあって、そのまま「ここで盛り上げて」「ここでスカして」「ここでおとす」とか考えながら、テープの終わりまで60分〜90分をそのテーマに合わせて作らなくてはいけなくなる。 で、そうしてでき上がったテープは、だいたい最初の数曲は、キマリすぎるくらいキマッているのに、そこからはメリハリがなく、ただ漫然と、しかもしつこく、そのテーマが繰り返されるような物になってしまって、人にあげても車でかけても評判が悪い。 さて、この映画、最初にその趣向がわかった時から、何編か目までは本当にカッコいいのだけれど、それからだんだんと、まさにそんな感じがしてくる。そして、その辺でまた別の趣向があることがわかってくる。それで、最後には憧れのパリスがハリウッドに犯されてしまったような残念さが残った。 でも、ただこれはジャケット買いをしたCDが思った通りではなかったというだけの話で、最初からそのつもりでみていれば、オーケーどころか、お気に入りの...

Ravenous

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殺人、強盗、拉致、通り魔、親殺し、子殺し、自爆・・・と、聞くだけで身の毛がよだつような犯罪も、最近すっかり市民権を得てしまったので、このどれかをテーマに物語を描くにはどうもありふれすぎてしまうし、なによりもそんなものは、変に現実味がありすぎてやりきれない気分になってくるにきまっている。 さあ、そこで最後の砦になるのが食人かもしれない。これなら、あまり報じられていはいないし、とにかくなんでもありというこの世の中で、スレスレで想像の向こう側。なんといっても「食」という全くの日常と、「人を」というタブーがいっしょくたになった妙な気分にさせるのもいい。 とにかく、自分の中でそれが気持ちの悪い事なのか、ハラハラドキドキするような興味のある事なのか、どうもハッキリしない。その証拠に「食人」と聞いただけでは、犯罪なのかそうでないのか、そうなる経緯をちゃんと聞くまではすぐには答えられないというのもおかしな感じだ。 それはともあれ、劇中にダジャレとして出てくる「生きる為に食え、食う為に生きるな」という台詞がとても気に入った。それは、現実でも多くの人が普通に葛藤しているようなことだと思うのだけれど、それと、この物語の登場人物達にとっての意味が、もう少しでつながり合いそうな知恵の輪の様でとても面白い。 南北戦争の時代(?)の、山間の閉ざされた砦という時代背景と舞台に、先住民族の言い伝えとカニバリズムという組み合わせが、なかなか新しいおどろおどろしいさを醸し出している。 でもこれ、分類はホラーとなっているけれど、本当はちょっと前にはやったキツいブラックジョーク系の若者映画みたいなノリ。種類は全然違うけれど、こちらもかかる音楽が格好いい。あ、出てる人が同じだからか。 [Ravenous] [Trainspotting]

Nathalie...

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字幕の切り替わりの早さというのは、一体その翻訳が原因なのか、それとも、その言語が短い時間でたくさんのことを伝えることができるものだからなのか。わからないけれど、とにかく中国語の映画は、字幕の切り替わりが早くて読むのが大変なことが多い。 きっと、発音しているのは漢字だけなのに、そこにひらがなを足して文字にするから、元々よりも量として増えているのだ。さらに、中国語の映画の英語の字幕などは、それよりもかなり横長になるはず. さてこちらは、フランス語の映画。字幕が英語だったので、いちいち読むのに時間がかかったというのもあるけれど、字幕が問題になるポイントはこの映画の性質にある。 メインの筋はというと、自分の夫を誘うように売春婦に頼んだ奥さんが、その売春婦とだんなとのそれからの出来事をいちいち聞く、というもの。日本では、いつも通り「こちらに何か変な誤解させて見せてしまおう」と、ずいぶん官能的な映画の分類になっているけど、例によって実際はそうでもない。 で、その女のする話というのが、やはりほとんど情事についてだったりするのだけれど、これが本当に話だけで、絶対に回想シーンなんかにはならない。ということで、フランス語の解らない人は、そのエロ話を全て文字で読むことになるというわけ。 こうして考えると、日常生活でもコミュニケーションというのは言葉と同じくらいか、それ以上の割合で表情が大切であることがわかる。込み入った内容の映画など、話の流れから振り落とされまいとして、一生懸命に字幕を追うと、表情で伝えるような本当の見せ場みたいなところを見逃してしまうことがあるから大変。 ということで、この映画でもここで字幕の切り替わりの早さが問題になってくるのだけれど、しばらく見ていたら、その2人が顔をあわす時に話されることはだいたいそんなことで、全体を見失う程のことでは無い、ということに気がついたので、文字の固まりの最初と真ん中と最後位をチョイチョイっと読んで軽く流すことにした。 ところが、話のオチが見えてきた頃、「もしや」と思った時にはもう後の祭り。実は、その部分こそが、この映画の最大の見どころで、その都度、フムフムと読まなくては(聞かなくては)いけないというのがこの映画の流儀だったのだ。 ということで、画面では2人の女性がなにやら深刻そうな話をしている様子、その下で誰かが翻訳したエロ話がパッパと...

Lemming

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「なるほど」と感心した映画について、他の人に話や文字で詳しく伝えようとしても、どうしても「ある所に男と女が居て、かくかくしかじか・・・」で、結局「面白かった」とか、「そうでもなかった」とか、最後にはただその話の筋だけになってしまう。映像を加えて初めてわかる「あ、なるほど」という感覚を伝えるのはかなり難しい。 そして、そんな話になった時の聞き手はといえば、面白くも何ともないから「じゃあ今度見てみるよ」くらいの反応をするのがやっとなどころか、一生懸命その感動の山場を伝えようとしている相手を目の前に、一体どんな顔をして話を聞けばいいのかすら迷ってしまう始末。 とにかく、映像で語られる物語は「こうなって、こうなって、こうなる」と、順番になっているよりも、「これと、これと、これ」という風に、その組み合わせと並べ方によって、最後に自分でも思ってもみないような変な感じがするという、自分の中で起こる新しい現象の発見が面白い。 そしてこの映画も、その面白さの部分を抜きにして説明してしまうと、どうしても、吹き出してしまうようなくだらなげな話、となってしまうのが実にもどかしい。 フランス映画独特の、実際はちょっとクサくてちょっとダサいのに「本当のカッコよさとはこういうものなのだ」という、妙に強気に開き直った格好のよさ(褒めている)をベースに、これまたフランス風即席へっぽこ現代アート的な組み合わせがおしゃれな、日常の陰に潜む恐怖を描いたスリラー&ホラー。 ...と、最後にこう書いてしまっては、もう元も子もないけど。 とにかく、この先どうなってしまうのか、この話は本当に今日中に終わるのかと、やきもきさせてくれる一方で、心のどこかで「別に、いつ消してもいいかな」と思える軽さが良い。 あと、この主人公の男性がうろたえる様子を見ていたら、この人が昔同じようにうろたえていた作品を思い出し、調べてみると当たっていたのでとても嬉しかった。 [Lemming] [Harry, Un Ami Qui Vous Veut Du Bien]

Kamataki

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エンディングの曲を聴く為にだけでも、全編を見る価値有り。途中どんなに響いてこなくても、それまで見ないと損。いや、ひょっとしたら何かを見つけられるかも。  舞台はたぬきの焼き物の信楽、事情あってそこの窯元で働くことになった西洋人の若者の視点で、日本の文化や風情みたいなものを描いている。でも日本を描いた外国映画だからって、 スーパー無国籍ゲイシャもの というわけではなくて、日本文化に対する知識と敬意にあふれた、ちゃんとした現代劇。  全体を包むこの「なんかな」という、ちょっと腰抜けな感じがいつもカナダ映画に感じる独特な感覚にピッタリだったので、「これ、これ、この感じはなんだろう」と思いながら最後まで見てしまった。それにしても、どこの国の映画だか知らずに見ているのに、だんだんとその感じがしてきて、「もしや」となるから不思議。  で、もしもこれを見た外国人に、「日本人からみてどうだった?」と聞かれたとしたら、日本人の私としてはもちろん、「愛のコリーダは、見ましたか?」と、話をはぐらかすしか無い。  [Kamataki] [愛のコリーダ]

Mysterious Skin

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今まで自分が生きてきた時間の中に、戦争みたいな自分の力だけではちょっと避けることが無理で、さらにそれが一生に影響する、というような悲劇がなくて本当によかったと思うことがある。 それは、病気や事故、また何らかの事件に巻き込まれるということでも同じなのだけど、戦争となるとただ其処に生まれてきた、というタイミング的な要素が強くて、本人には何の責任もないのに、それに当ったり当らなかったりするので、たまたまその時代に当らなくて本当によかったな、と思うわけ。  この映画はぜんぜん戦争の話じゃないのだけど、人生全般に影響をして、逆らおうと思ってもそこから抜け出せず、非常に心地悪く感じながらも、常にそれが身の回りを取り巻き、とにかくそれと一緒に生きていかなくてはならないという話。 で、それが事件や事故とどう違うかというと、やっぱり自分には何の非もなく、ただその時にそこに居たのがどうやら原因だというところと、とにかく、見た目が病人でもけが人でもない。外からは普通に見えるのに、その体の中には非日常的な暗闇をたっぷりと蓄えている、という感じに耐えられないような孤独さがある。 この主人公が持ちつづけている問題、というのは、もちろんこれとそっくりそのままではとてもやっていけないけれど、似たような感じのどん詰まり感というのは、どこか解らないでもない、かもしれない。って、やっぱり想像もつかない。  幼児虐待とゲイ、そして宇宙人によるアブダクション(誘拐)と、ぎょっととするような要素の組み合わせがスゴすぎる。 ところで、こうしてキーワードだけを並べてみると、ちょっと楽しげなB級ホラーっぽくないでもないけど、全くホラーでもSFでもありません。   [Mysterious Skin] [3rd Rock from the Sun]

Lantana

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テレビのスイッチを入れて、パッと出た映画チャンネルの画面。ほとんど全ての登場人物が白人で、英語を話し、家の中の様子や生活様式もだいたい自分と変わらず、また町などの風景もだいたいそのようだ。そんな時は頭が自然に「これは、ヨーロッパかアメリカの現代劇である」と判断して、さてと、と、そのノリで流されようとする。  でも「これ、何かな」という漠然とした感じが、全体から気がつかないほどに臭っていて、それがまた話のスジに特徴があるわけじゃなくて、登場人物のふとした反応だったり、その出来事に対しての対処の仕方だったり、またその家の周りの生け垣の植物だったりすると、そういう要素がどんどんと積もっていって、とうとう止められなくなってくる。  人物の性質を表現するとなると、「怒りっぽい」とか「楽観的だ」などとその人がどういう気質の人か、という風にすると簡単だと思うのだけど、それが例えば「北国生まれの人物」とか「砂漠から来た人物」のように、簡単に説明できるような明らかな特徴がない場合に、見ている側に「なるほど、この人が北国生まれだからだな」と思わせてくれると、微妙なところでドキドキとして楽しくなってくる。それがどんなにありふれた筋でも、ただ「その主人公が北国生まれの人物だから」というだけで突き進んでもきっと楽しい。 でも本当は、そんなことを意図的に映画の中心に据えて面白くさせているということはなくて、ほとんどがその人物達の暮らす国では当たり前のことを描いているはず。だから、その場所のことをよく知っている人には、ごく普通の映画ということになる。 ということで、実はこれは見る人との巡り会いで増してくる面白みということで、自分が偶然自分の知らない世界の日常を見るチャンスに恵まれたということになるので、そう感じたらそれはラッキー。 だけど、自分が知らない場所なんていくらでもあるのに、面白くない部類の映画は、自分の中でその差異を意識することなく見ることができるような気がする。アメリカのことも、アメリカのテキサスのことも、マイアミのことも、マサチューセッツのことも何も知らないで、ずっとここに住んでいるのに、それを意識しないで見ることのできる映画には何があるのだろう?  とにかく、一見いつもの風景でも、だんだんと言葉の違いや、町の感じの違い、そしてその風景の違いに気がつい...

Dead Man's Shoes

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 これは見てよかったなと満足させられるような作品には、ちょうどいい加減で「現実のような混沌さ」が混ぜ込まれている。もちろん、現実みたいに本当に混沌としていたらお話にならないけれど、とにかく、説明されないことがいくつかあるくらいの方が、現実感があって緊張してきていい。  例えば、ある人物がハデな復讐劇を繰り広げるとしたら、その理由自体は単純なものでよしとして、とにかくその経過に何が起こるかによって、ぐっと引き締ってくる。そしてそれは、どちらかというと構造に関わるような大きな出来事ではなくて、小さな出来事を気の利いたタイミングで小出しされる方がいい。ということは、逆に言うと出来事や経緯について説明されていればいるほど、整理されていればいるほど、そして辻褄が合っていればいるほどシラける、ということになる。 ということで、ある程度不要と思われる登場人物は居た方がいいし、意味もない出来事があった方がいい。また、見ていて意味の分からないような人間の行動というのも、現実によくある緊張一つだ。とにかく、そんなことがちりばめられていると、予想を裏切ってくれるドキドキの映画になる。  さて、そうしてみるとこの映画は復讐劇としての展開は鮮やかで、テーマと動機などの骨組みは至ってシンプル、さらに「 お仕置きのバランス度 」も絶妙。その辺がスマートに仕上がっているおかげで、いつも頭の中にある、そんなところでの掛け合いがない。そのすべてが当たり前に感じられるので、あえて「動機は十分か」「辻褄が合っていか」なんてことが全く気になってこない。 その上で、さあこの映画の楽しみは、となったときに、情緒があってかっこいいとか、現実感があって緊張させられる、というもう一段上の楽しみに引っ張り上げてもらえた。  とにかく、風景も、個々の人物像も、出来事も、また場面から場面までの経緯、そして音楽まで、どれをとっても、さりげなくハマっていて格好がいい。またなんと言っても、普通の復讐劇なら、どうしても疑問が残ってしまう、復讐と正義という相反するものの両方が見事に貫かれているオチがいい。 こんな風に、身の回りに居る知らない人達の生活、そしてその中で起こった問題を垣間見るドキドキさ。いつも映画にはそんなことを求めているような気がする。  ところで実をいうと、この映...

Derailed

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これは良いこと、これは悪いこと、これはそれよりも悪いこと、これはそれよりもっと悪いこと...という具合に「どんなことが、どんなことより悪いか」ということを考えながら見ると面白い。すると、話が進んでゆくにつれて「まてよ、これとこれではどっちが悪いのかな」となってくる。 ふつう悪いことをしたやつは、最後にそれ相応のひどい目にあうことになっているので、何処かで「この先きっとそうなっていくのだろうな」と思って見ているのだけど、こんな風に、同じステージにレベルの違う悪がいくつか存在していて、物語が進むにつれて変化していくとなると、クライマックスで一体誰にどの程度のお仕置きがスッキリするだろうか、というのが気になってくる。  それは、この手の映画だとたぶん「なるべく多くの人を納得させることのできるお仕置き」ではなければならないはずだから、とすると一体、それはどの位が妥当なのか?例えば、人の恋路を邪魔したいじわるなやつは、水たまりで転んで顔が泥水に浸るとか。そういえば、最後にとても高いところから落ちたりするのは、悪の組織のボスが多い気がする。 とまあ、これはいずれも妥当と思うのだけど、もうちょっと登場人物の個々の事情が説明されている場合に、その人物がそこに到るまでの状況が理解できたりしてしまうので、「いや、どっちかな」となる。 とにかく、「悪いことの度合い」というのは人によって違うし、さらに同じ場所に比較が存在する場合は、さらに妥当なお仕置きの判断が難しくなってくる。 で、このバランスを考えてみると、その絶妙さが際立っているのが、時間と場所を交差させながら大勢の悪者の日常を描いてゆく斬新な手法が話題になった あの名作 。この映画の場合は、一人の登場人物を除いて、全員が始終一貫して「あるレベルの悪者」で、それぞれの最後にその悪者が出くわしそうなバランスのとれたお仕置きを受ける。そのお仕置きは「死」とは限らず、ただ「緊張」だったりもするのだけど、見ていてとにかく納得できる。 そういえば、この映画の最初で「悪とは別の方向に変化しよう」と決心するその一人の登場人物については、結局お仕置きを受けることはないのだけれど、それまでは相棒と同じ悪者だったのにも係わらず、それには納得できる。なるほど、実はあれはその辺がけっこうなミソだったのかも。  それはさておき、作者が...

빈 집

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ただぼんやりと最後まで見てしまった。ありふれてるんだか、そうじゃないんだか、ただ目が離せず時間が過ぎてしまう感じの作品。といったって、なかなかいい。最後にゴリッとした何かが残るというわけではなくて、なにかファンタスティックな気分にさせられるそのどこか一部で、好きなタイプの冗談を聞いたみたいなあと味。 日本映画と韓国映画には、「この種類の雰囲気」でせまってくるよく似た作品というのが結構多いと思うのだけれど、その中に「でも、この部分は韓国映画独特」という感覚が私の中にあって、それはいつもスリルに似た種類の不思議な何か。それはたまに、ちょっと胸焼けのするような気味悪さだったりもするのだけど、見てみるといつも面白いことが多いし、好きだったりする。でも、依然としてその感覚が残るのというのが特徴。  ということで、ざくざくといくつかの大きな塊に切りわけた様な簡単な構成に、全編を包む緊張感。その中で韓国美男と美女が淡々と静かな画面を作り上げていく、といったら、もうその他の些細な出来事の顛末なんていちいち気になりません。   [빈 집 (Bin-jip)]