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Passer By

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「こんな思いはもうコリゴリ」と思っても、だいたいの人はその後何回か同じような失敗をしないと身に染みない。これは、その強烈な1回分という出来事の最初から最後までという感じ。明日誰もが普通に出くわしそうな事件から始まって、どんどんと事が大袈裟になってゆくのだけど、とにかくそれが常に現実というレベルから離れていかないから面白い。 終電に乗り合わせた女性がチンピラにからまれているのに、何もしないで自分の駅で降りてしまった男性。それをきっかけに起こっていく出来事と、全体を通しての彼の心理状態、そして彼を取り巻く、社会的な環境(家庭を含む)の変化の描写が巧みで、とにかくハラハラ。誰でも持っている心配(特に男性の責任とされていること)みたいな地味なテーマをぐっと手前に持ち出している。物語の経過で、主人公の行動や考えについて、その時ごとに納得できたり怒りを覚えたりと、その人物と一緒に変化してゆけるのも楽しかった。だんだんと事が込み入ってくるにつれて「もうかんべん」という気持ちになるのは、この人物と自分の中の共感する部分が助けを求めているからかも。 とにかく、一人一人の登場人物について、その生い立ちからなにから個性がキチンと考えられていて、そこに様々な人物が居て実際に生きている、というような確かな現実感が全体を包んでいる。それにしても、どうもイギリス映画にはこの感じものが多い気がする。ひょっとしたら、映画や演劇には「登場すべき役割の種類」というのが何パターンかあって、そのうちのどれかをベースに、その物語や個々の人格について詰めてゆくとこういう感じになるのかもしれない。例えば、ベースはかならず、王様、道化師、魔法使い・・・といった具合に。そういえば、コメディでもそう。気の利いた感じの作品には、決まって「いつもタイミングのわるいヤツ」みたいな人物がキチッと配置されていて、その物語の根幹には影響しないものの、常に「居る、居る」という感じで、全体をぐっと洒落たものにしていることが多い。 一方、誰か一人がその人の頭の中で考えたような作品は、主人公も相棒も、ギャングも、通行人も、だれもかれもが同じ人物で、みんなで手順を追っているというような感じ。この場合だと、観ている方は、時間の流れ以外の階層的な解釈をする必要もなく、ただ一緒にワイワイと一方方向へと進んで行けばいい。すると最後に、時間だけが過ぎ...

Wolf Creek

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とんでもない田舎町、奥深い森の中、または原野の真中といった人里離れた場所に、狂った世捨て人が暮らしていて、とんでもなく常軌を逸した生活をしている・・・、というような恐怖は確かにあるものの、それをどうも心から恐いと思えないのはどうしてだろう。 もちろん、最初から最後までハラハラし通しで、終わった途端に握りこぶしの力がゆるんで、ホーッと大きなため息が出るほどなのだけれど。 でも、どうも同じ恐怖でも「隣に住んで居る人の恐怖」方がもっと恐い感じがする。もしかしたら、アメリカやこの映画の舞台のオーストラリアの様な、とても広い所で生まれ育った人々にとっては、その私の感じない部分に強い恐怖を感じるのかもしれない。だけど、もしかしたら、それがその「隣の」というのと同じ感覚だったりするということなのかもしれないけど。 さて、そのキ印というのは、あるときは1人だったり、あるときは家族ごとだったり、そして時にはその町の人全員だったり。とにかく、相手は同じ人間なのに、完全にオカシイから止める術が無い。それが偶然自分の日常に現れ、捕まえられて、生きながらもう、ひどく病的なことをされ、苦痛と恐怖の絶頂でとどめをさされる。で、しかも最後には、気持ちの悪い標本コレクションの仲間入りにされるか、悪くすると食べられてしまう・・・。 とにかく、こういうものは寅さんと同じで、そうとわかって観るという種類のもの。色んなパターンは考えられるけれど、いずれにしても大した違いはない。そしてこの作品は、こんな風に最初にスジもオチも知っていたとしても、要所要所がとても気が利いていて十分に楽しめる。特におじさんの人物像がうまくできていて、久々にホラー系悪のヒーロー出現の予感。キャラクターグッズの販売が待ち遠しい。あとは続編を待つばかりだ。 ・・・それにしても公開は2005年とのこと、しばらく経つのに変だな。(→ 2013年にキタ! とうとう!) [Wolf Creek]   [The Hills Have Eyes] [Wrong Turn]   [The Texas Chainsaw Massacre] [Two Thousand Maniacs]

Lord of War

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ずいぶん好きな俳優なはずなのだけど、このしばらく70点続き。これまでのハマっている作品と、この手のものとの違いがどうもわからない。けれど、いくらヒイキみにみても3割減なのは確か。 や、そういえばこれまでもずっとそうだったっけ。今日改めて考えてみて、初めてその違いというか、その違いの無さがわかった。実際は、この人がどうというわけではなくて、作品がという話だった。 [Lord of War] [Wild at Heart] [Moonstruck]

Schatten Der Zeit

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なにかの話の中で「インド」と言おうとすると、つい「ドイツ」と言ってしまい、逆に「ドイツ」のときには「インド」となってしまう妙な癖のある私の友人にはちょっとつらい、インドが舞台のドイツ映画。  かなり伝統的正統派ラブストーリーなのだけれど、インドという背景のせいで、根底に「この人物の人生はこうだった」という、なにか強い説得力があって、なににともなくただ納得させられる。もしもこれがインドではなかったら、もっとサッパリ味だったと思う。それで、どれくらい伝統的で正統派かというと、そういえば、これはシェイクスピアっぽい。  で、試しにこの作品を予告風に短く表現すると、「お互いの境遇の変化と、巡り合わせ、そして無情な時間の流れ、シバ神に翻弄される2人の人生がコルカタを舞台に繰り広げられる・・・」と、こんな具合にどうしても正統派臭く、面白くなさ気になってしまうのだけれど、実際は、心に残る名作のようで、もう少し軽めの「技あり一本」という心地よさ。とにかく、誰もが聞いたことがあるような「インドってこういうところらしい」ということを、つなげ合わせて話の土台にしてあるので、とても取っつきやすく、最初から最後まで集中して楽しむことができた。  ということで、幾度となく「いかにもインド風」なモノの売り買いの場面があるのだけれど、それを見ていると、どうもモノの価格というのは、そのモノ自体にではなく、買う人に属しているのかもしれない。だから、人によって、そのモノの価格が変わるのは当たり前で、きっと商売人というのは「その人がその物に対して持つ価値を見極めて、一番高い値段をつける」のが仕事なのだ。でも、売れなければゼロなので、これはまさに真剣勝負。 とにかく、今回はそんなドイツの力を改めて思い知らされた。や、インド、インド。   [Schatten Der Zeit (Shadows of Time)]

Kammerflimmern

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表面的なストーリーとノリは、かの巨匠のたぶんあまり流行らなかった作品そのままだけど、こちらはもっと若さの様な不安定さがあり、ときめいたり切なかったりして、ずっと身近に感じる。それでいて、軽すぎないテーマが全体を支配していて、それが実に心地よくハマっていた。音楽に例えると、あちらがクラッシュをかけて救急車を突っ走らせるのだとしたら、こちらはニューオーダーで、という感じ。  主人公のこれまでの境遇と、現在の環境とが底の方でガッチリと組み合っていて、そこに日常の色々な出来事が関わってくるというのが大きな構造なのだけれど、とにかく、それについての向き合い方や解決の仕方に現実味があって良かった。救命作業が細かく描写してあって、その見慣れない器具や手順をゆっくりと見せられるので、とても緊張する。 そんな現実的な表現と同時に、幻想的な雰囲気も持ち合わせているのだけど、とにかく「あちら側」に行ってしまう直前で「こちら側」に踏みとどまってくれて、結局いつも「喜び」や「落胆」「ときめき」「切なさ」という、基本的な感情に立ち返ってくれる感じがいい。で、その雰囲気こそが主人公の個性ということなのだと思う。 とにかく、サイケデリックな世界に行ってしまうこともないし、日常的に幻を見ることもない、走り続けることもあれば、止ることもあり、今日が来て、明日が来る、という感じがなかなか好きだった。  まるで病室のような白っぽい雰囲気のある画面。あと、所々のミュージックビデオの様なこ洒落たキメカットは、もうきょうびの映画には欠かせない。   [Kammerflimmern (Off Beat)] [Bringing Out The Dead]

Old Boy

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予想のつかないオチがある、ということなので楽しみにしていたら、最初から全くこちらに想像させる余地を与えないほど、ぎっちりと説明されていたので、すぐにあらかたの予測がついてしまった。ということで、そこからは知っているものをたどるように時間を過ごすしかない。普段なら、どんでん返し系の映画の結末をちょっとでも人より先に気がつくと、嬉しくなって言いふらしたりするのだけれど、これはその気にもならなかった。 だからといって、これが特に面白くなかったという訳ではなくて、宣伝で「オチは誰にも言ってはいけない」と、自信たっぷりなものだから「そうか、どれどれ」と真剣にその挑戦を受けてしまっただけ。  どこかアメリカンコミックのダークなヒーローを思わせる主人公とスピード感のある暴力シーン、あと変にねばっこく暗い画面。とにかく、どの場面も気持ちがグジグジになるまで続けるしつこさで、もうヘトヘトに。そういうのが好きな人や、年頃の人なら、目玉をひんむいたまま一気に最後まで見られるはず。 本来なら「その作品はその作品」として観ていきたいところだけど、国によって特色があるのは当たり前なので、「どの国の映画が好みだ」という話になるのは仕方がない。以前韓国の音楽番組を観た時に、そこで流すミュージックビデオが、どれも話の最初から最後まできっちりとドラマ仕立てになっていて、しかもその1カットがものすごく長い。例えば悲しい場面なら、もうたくさんというくらいその泣きっ面を拝ませられるのが面白かったのを憶えている。 それで、もしも、例えば悲劇的な場面が長いと、その分余計に心が疲れるのだとしたら、心に残したい場面は長くすれば長くするほど、見ている人の心に作用させられる、ということになるのかもしれないけれど、もしだとしても、どうかそれを毎場面毎場面ではなく、1本につき「これ」という一場面だけにしてもらえると本当に助かる。そんなに律義にしっかりと説明せず、もっといい加減でいいので、ぜひそうして欲しい。  あと、実はこれを観ていて思い出した韓国映画がもう一本あるのだけれど、それについてはもう触れたくもない。すみませんが、どうかそればっかりは勘弁して下さい。 [Old Boy]   [Lies (Gojitmal)]

Solaris

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自分の身近で起こっている出来事の原因が、実は遠く離れた一見なんの関係もないようなものだと解って、驚いて「何?これってあれのせい?」というのが一つの宇宙のイメージ。宇宙というと、鉱物とか気体とか、引力とか遠心力とか、そこは物理や科学の場所で、もう最初から最後まで無機質なはずなのだけれど、実際、感覚的にはどう受け止めているかと問うてみると、どうやらそこに生き物のような印象があることに気づく。や、別に「宇宙人が居たりして」とかいうのではなくて、その全体が。  これは、私にとって シラける俳優 の一人である彼が全く邪魔にならなかった初めての映画。現実的な現実が舞台ではなかったから、邪魔にならないというより、まさに適役だった。話についても、 よく原作や最初に作られた映画と比べての議論を見かけるけれど、これはこれで、すらっとした骨組みがあって、感覚的で、話の筋もなかなか裏をかいているという点では良かったと思う。 特に、音楽を聴かすというときの映像や場面の感じがとてもよく、その昔これと似た感じでうっとりとさせられた映画のある一場面を思い出した。 とにかく、こんな風に音楽とその場面や映像が一緒に頭に焼き付くと、次は映像なしでも同じ気分になれるのでいい。 それにしても、この監督の作品は今までことごとくアウト。まったくもってどれも苦手。どのくらいって、体が痒くなるほど。   [Solaris (2002) ] [Blue Velvet]

Bee Season

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観始めは、ある家族内の問題を描いているような雰囲気なのだけれど、実は、その家族を構成する各々の精神世界を、多種の宗教と超自然的な現象が巻き込んでゆくオカルト映画。家族の間のよくある出来事によって、当たり前の感情が生まれ、ありきたりの行動に出るわけなのだけど、その経過でだんだんと、どうやらこの延長線上に、ひょっとしたらあちら側の世界が繋がっているのかな、というおぼろげな感覚が沸いてくる。  と、どこかで読んだレビューに対抗して「これはオカルトじゃ」と、強めに書いてはみたものの、実際ファミリードラマという感触も備えてはいる。最近余りパッとしないチョボ目の2枚目夫役と、その美人妻役とのカップルがそんな先入観を与えるのかもしれないけれど、とにかく始まってみると、個々の人物の背景や状況、そしてそこに絡んでくる要素の種類とその関わり方が凝っていて、何とは一概にはいえない感じ。でも、どうしてみても、家族間の人間関係やそれについての個人的な葛藤、また社会問題が中心にはなっているわけではない。  話の全編に亙ってカバラが関係してはいるけれど、ヨーロッパを舞台にしたオカルト系歴史ミステリーの様に、常に頭の中の知識を総動員させなければいけないわけではないし、映像も今風で楽に観られる。例えば、全米スペリングコンテストの様子など、知らない国の知らない大会の様子を知ることができたりして面白かったし、所々のラリったような感覚のあの映像と音がとてもきれい、という具合にファンタジックな一面もあるといった具合。 このように、他にも様々な言葉で表せるような場面をたくさん持っていて、それが全体にうまくバラまかれている。これをまとめて「異端系ファンタジーファミリードラマ」というのはいかがでしょうか? [Bee Season]

Monster's Ball

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多くの人々に物語を解ってもらう為には、その人物の背景についてなどから、物事を順序立ててなるべく解りやすく徐々に説明していく必要がある。だから映画でももちろん、この人はこういう人物なので、この出来事に関してこんな風に感じ、そしてその結果今「怒っている」とか「泣いている」とかという風に描写されてゆくのだけれど、その説明をやり過ぎると、初めて観た映画なのに何回目かの様な気がしてくるから不思議。  現実の世界では、その瞬間に自分がおかれている状況にしても、出会った人との話にしても、いつもぶっつけ本番で、一度として同じ状況は無いし、感情に関しても「あの時こう感じた」と言葉では言い表せない感情の方が多い。だから、その人物の過去にしても、これから何が起こるかにしても、それが独特であり、しかも説明されすぎず、というバランスとれていると現実感があって面白い。  この映画も土台となる大きな話の構造の中に、そんなリアリティが言葉少なに描かれている。話の筋やそこでの感情を解らせようとすれば、だいたいはその時点で、表現が限られてしまい、元々の意味よりも少し違ってきてしまいがちだけど、そこをぐっと我慢してそうならない所がうまかった。 とにかく、劇中のいくつかの事件に関しても、人の感情の変化にしても、その都度くどい説明は無く、ただ起こり、過ぎて、言葉や表情、その人物の行動でこちらに判断させるという感じ。 少し前までは、名の知れた俳優の出るハリウッド映画というと、そのスターがスターであるが為の様で、ちょっと退屈なものが多かったけれど、最近は良い意味で「こんなのありか?」という、まるで、新しいセンスを持つ若い誰かが、ショービズのベテラン達を従えて自分のセンスにまかせて好き勝手に作った様な映画を見かける様になった気がする。  音楽もそうだけれど、最近ではアンダーグラウンドシーンに何か新しいものがうまれると、その埋もれている時間がまだわずかうちに、商売人が発掘しメジャーとして広げるので、 地獄とこの世がつながったような妙な世界 になってきている。ということは、そこの角の映画館や、DVDレンタルのニューリリースの棚で、けっこう面白い作品と出会える可能性が高いということなので、もちろん大歓迎。  それにしても、この日本向けタイトルとパッケージには脱力。しかもロマンスに...

Monsieur Batignole

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テレビの宣伝や雑誌の広告、ポスター、そしてDVDのカバーを目にして「あ、これは今の気分にきっとぴったり」と思って観てみると、実際はそれらの広告が放っている印象と全く違う映画であることがたまにある。 例えば、最初から「シリアスなヒューマンドラマだ」とがっちり信じきって観はじめて、途中「なんか変だぞ」と感じつつも、それを頭のどこかに隠しながら、中盤を過ぎたところで「・・・アクションでありましたか」と、目の前の現実を完全に認識したその瞬間の、怒りと悔しさ、そしてなぜか恥しさが入り交じった様な独特な感覚。そして、どこからか「誤解した方が悪い」と聞こえ、「またも、商売人にしてやられたか」と思う。 幸いにも今回はその逆で、最初に作品を観てから、DVDのカバーを見て「うそだ。ぜんぜんこんな雰囲気の映画じゃなかったぞ」というのが左のイメージ。へた字クレパスで「バティニョールおじさん」と楽しげなタイトル。で、パリのアパルトマンの天窓からおじさんが子供をささえてる様子。これではまるで、これからチンチロリンなフレンチコメディがはじまるみたいだ。はっきりいってこれは詐欺。 それで、試しにアメリカやカナダで売られているものと、ヨーロッパで売られているものを探してみると、それぞれが違う場面を使っているので面白い。主人公一行が手をつないで野原を楽しげに歩いているのがアメリカ版、そして、ちょっとシリアスな面持ちで旅券か何かを持って旅をしているのが、この記事の一番上のフランス版。 だけど、実際のイメージは「フランス版とアメリカ版の真ん中辺りで、ちょっとフランス版寄り」という感じ。 舞台はナチが台頭し始めたパリから始まって・・・、というと「ふーん」位に思うけれども、これが人情ものかと思いきや、ドタバタあり、ニヤリとさせられるブラックユーモアあり、そして、決して軽くないテーマなのにも関わらず、暗い雰囲気に支配されることもなく、スイスイと観ることができる。そして、その常に安定した話の構成にどんどんと引き込まれてゆく。 その時の社会の状況というものが、登場する全ての人物の中ですでに日常として肯定されていて、まるでただその時代の当たり前の一人生のように描かれている。とにかく、登場するそれぞれの人物について、その個性や背景を感じることができる。だから、タイトルだって「バティニョールさん」というの...

Young Adam

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たまに、なんの関係もない全く別の職業に就いてみたいと思うのだけど、もちろんそう簡単にはいかない。だから、こんな風に映画の中で、想像もしたことも無い様な職業の具体的な仕事についての細かい描写があったりすると、わくわくしてならない。  この場合だと、スコットランドのどこかの運河を上り下りして色々なものを運んでいる運搬船なのだけど、働く人の生活と船や道具、そしてその仕事に関しての「コツ」というか「腕の見せ所」みたいなものまで、よく映っていて面白い。もちろん、それがどれだけちゃんと描写してあるか、なんていうことは解らないけれど、とにかく「働く、その場」というものがよく伝わってきた。  主人公の性癖やおかれた状況はかなり非日常的なもので、骨組みはスリラーということなのだろうけれど、同時に描かれたその「労働」みたいな、淡々とした現実の日常というものが、全体を深いものにしているのだと思う。だから、ちょっと軽薄な事を試してもある程度の重さがあった。 ただ、劇中の音楽で「?」と、我に返ることが1、2回あって、それがちょっとデヴィッド・リンチの昔の人気連続テレビシリーズを思わせてしまった。これは、音楽を作った人が「ちょっと、それっぽいかなぁ」と思った所でやめるべきだったかも。 [Young Adam] [Twin Peaks]

仁義なき戦い

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その昔、菅原文太が広島やその周辺の人ではなく、東北の人だと知ったとき、それはもうショックだった。そしてそれから、ずいぶんと時間が経って昨夜、途中でふとそれを思い出してしまってからというもの、どうも「東北は米どころの人」という感じがしてきて、映画はすっかり違う印象に。 人は初めて会った人との会話の最初に、年齢や職業、そして出身地の話をすることが多いけれど、これには十分に気をつけた方がいい。ひょっとすると、それが話の内容にずいぶんと関係してくるかもしれない。とにかく「呉出身です」というのと「仙台出身です」というのでは、まるで雰囲気が違う。土地の印象が違うというのは当たり前なのだけど、これは「そこ出身の人物」という話。 例えば、同じ「若いときはよく喧嘩をしたもんだ」という話でも、どうも仙台での喧嘩の方はたいしたことない感じがする。けれど、「呉で喧嘩」と聞くと、頭に浮かぶその場面がスゴイ。背景だって、仙台なら緑深い公園の辺りだけど、呉だったらやっぱり、戦後復興まっただ中の人ごみの中での刃傷沙汰という具合。 とにかくこの印象をぬぐうには、実際にそこに行ってみるのが一番なのだろうけど、そんな用事のために行くこともないし、ホントのこというと、そんな偏見をこのまま保っていたいという気持ちも強い。  それにしてもこの作品、昔観た時は確かに「やくざ映画」だったはずなのだけど、今回は、まるで新鮮な映像を楽しむミュージックビデオの様。どの場面もキマりすぎるくらいにキマってる。とにかく、なにもかもが凄すぎて笑いが止まらない。   [仁義なき戦い]

Serpico

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画面から目が離せなくなるのは、たぶんあの目玉のせい。特に若いこの頃は、目玉の中に水分がいっぱいに入っていて表面に張りがあるし、色もずっと濃い感じがしてなおさら。 それにしても「アル・パチーノが都会のポリス役」と聞くだけで、どういうわけか頭の中で映画が一本完成してしまうから不思議。 でもこちらは、そんなスターにすっかりもたれかかったような作品ではなく、設定も展開も丁寧で、ある緊張感を保ちつつ、登場する人物たちを生かしながら淡々と話が進んでゆくという地味な掘り出し物。 とにかく、自分の考えを話してみると、みんなが「お前は正しい」とうなずくのだけど、結局は「そうは言ってもな」で、のれんに腕押し、というのがこの世の中だと悟った時のその孤独感といったらない。もしも観ている人のほとんどが、この状況にいる人物に共感し、深く感情移入できるのだとしたら、これはもう、みんなすぐに田舎に引っ越したほうがいい。そこに居るから関わるのであって、離れてみると、そこにはそれを含まない時間というものが平然と在ったりする。そして、大きなシステムの中で問題になるような事でも、小さなシステムの中では、全くそうならないということも多い。  と、一体全体そんな映画だったかな?という気がしてきたけれど、まあそうだったかもしれない。ただ、中盤までは気にならなかったけど、ああいう感じの人がああいう服や帽子を選んで身に付けるとはどうしても思えなかった。どう考えてもオシャレすぎ。   [Serpico]

The Night We Called It a Day

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実在の人物についての映画で、今まで「なかなかやるなぁ」と思ったのは「ドアーズ」で、「一生懸命だし、面白いからいい」というのが「シド&ナンシー」。それで、俳優というのはきっとモノマネがうまい筈だ、と思っていたけど、このフランクシナトラはイマイチ。  話題作風のこぎれいな画面に、デニスホッパーとメラニーグリフィスのゴージャス&危険な雰囲気。おまけにそれっぽい予告だったから、ちょうどそういう気分で観始めたのだけど、これがとんだ肩透かしに遭った。他にも好きな俳優がでているので、その人物に魅せられて、場面場面には目を引かれるけれど、その間がスカスカして埋まらない感じ。しかし気が抜け始めたところで、パッと名場面風なシーンを挿入されるから、やめようにもやめられない。と、こんな感じで時間は過ぎました・・・。  でもこのフランクシナトラのよいところは、マネされる人物よりもマネする人物のキャラクターが勝っていて、逆に「この人が歌うたいだったらいいかも」と思わせられるところ。 いや、でもだんだん「フランキー、オーストラリアに行く」というのだけで、けっこう面白いのかもしれないと思えてきた。や、やっぱりダメ。いや、まてよ・・・と、観ている途中もこんな感じが続いたというわけ。   [The Night We Called It A Day] [The Doors] [Sid and Nancy]

เรื่องรัก น้อยนิด มหาศาล

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・・・といったって、別にタイ語で観たわけではないこの映画の題名は「Last Life in the Universe」。ネットで拾ったタイ語なので、ホントはなんて書いてあるかも解らない。直訳かそれともタイ国内向けのタイトルか、ひょっとしたら、外国でたまに見かけるTシャツにプリントされた日本語みたいに、いきなり「いかりや長介!」とか書いてあるのかもしれないけど。  それにしても、さすがは日本映画好きの外国人の監督という感じで、最近の邦画ではもう飽き飽きの、例の「間(ま)」と「つぶやき台詞」のとらえ方が違っていて良かった。とにかく、あの、間〜つぶやき台詞〜間〜間&場面転換、には、本当に惹きつけるものと、意味あり気なのでつい凝視してしまった揚げ句、ただ目を疲れさせるだけものがあると思うのだけれど、とにかく、このところそれがまるで「売れる手法」のようにどんどんと引き継がれていて、流行りの俳優が2人ほど出てきて、ぽつりぽつりと日常を描いてゆくような映画は、みんな同じになっている。始まりのカットでもう「ああ、またこれか」というのが多い。  で、これはそれっぽいのに「それが売り」ではないので、どこかホッとした。ジャパニーズヤクザの描写が無駄にしつこすぎないのも新しい。そして、全体がなんだか最近の日本映画への敬意で満ちている様で気持ちが良かった。タランティーノの強烈なそれではなくて、もっと若い「日本映画ってかっこいいよな」みたいな軽いノリで。   [Last Life in the Universe]

Siam Sunset

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話の方向を変えるきっかけ程度にちょっとした超常現象が起こるのだけど、全体のストーリーがそちらの方向に傾くことは全く無く、それによって連鎖的に起こってゆく事件に登場人物達が翻弄されてゆく、というこのタイプは、全体に不思議な雰囲気が漂いつつも、かといってがっちりファンタジーのように、胸やけしてくるということがないのでとてもいい。  イギリス人がひょんなことからオーストラリアに行く、と聞くと、一瞬「なんだ」と思えるのだけど、これが意外な効果があって面白い。オーストラリア映画と番組表に書いてあったので見はじめると、しょっぱな"イギリスのとある場所"と始まり、ハマるまでちょっと時間がかかるので苦手な、ある時代のイギリスのテレビドラマ風な臭いがしたので、「どうしようかな」と思ったけれど、その途端一気に引き込んでくれたので嬉しかった。  オーストラリアには行ったことが無いし、特に個人的な思い入れが有るわけではなく、本当に映画だけのつきあいなのだけど、いつも、画面といい、ストーリーといい、風景といい、人々といい、話し方といい、どうも気になって観てしまう。 そういえば、お巡りさんがマッチョな暴走無法者達に仕返しをする例の映画も、なにかアクションだけではない感じがしたから面白かったのかも・・・。だけど、ハッキリ言ってツー以降はぜんぜんついていけない。 [Siam Sunset]   [Mad Max]

CASSHERN

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始まってかなりしてから眠ってしまい、しばらくそのまま時間が経った気がして「いけね」と思って目を覚ましてみると、まだまだ余裕で話の中盤で、しかも場面も雰囲気も不思議と眠ったときのまま。それでもそこからかなりハマれた映画、という分類の「2001年宇宙の旅」と「ホーリーマウンテン」に久々の仲間が。しかし、この映画がこんなビッグネーム達と肩をならべられるとは思ってもみなかっただろう。 それにしても、久しぶりに子供の時にいつも感じていたあの、「新造人間キャシャーンの独特な感じ」を味わうことができた。きっと、あの時最後にテレビで観たとき以来。「そうそう、このキャシャーンの感じ」と、とても懐かしかった。 テレビでは確か、毎回挿入歌の途中かその話の最初に必ず、どうして新造人間になったかという、いきさつを短く説明する挿入ナレーションがあったと思う。それは、無数のロボット軍団すごい地響きを鳴らしながら、破壊された町を行進する様子、そして、そこにさっそうと連れのロボット犬と現れるキャシャーン!と、いかにもこれからその活躍っぷりを見せてくれそうなものだったのだけど、実際本編が始まってみると、悪を次々と倒してゆくどころか、なにか事有る毎に、彼特有の個人的な問題で悩んだり、この世の無常を嘆いてメソメソするという変な超人だった気がする。 と、記憶の中ではそんな風だったキャシャーンが、持ち前の希有な運命の悩みに加えて、単純だけどかなりヘビーなテーマを背負って登場。とにかく最初から最後まで、暗くて、重い。しかもそれがたいした抑揚もなく延々と続く(しかも繰り返し)。でもひょっとしたら、テレビでやっていた時も同じテーマだった? それにしても、この手の特殊撮影の映画は、どれも画面が暗すぎて、人の表情が見えづらいので途中登場人物が解らなくなるし、見終わった後もどんなものだったのかよく思い出せないことが多い。とにかく今は、寺尾聰の笑い顔しか思い出せない。   [CASSHERN] [2001年宇宙の旅] [ホーリー・マウンテン]